ポッポ屋のブログ

喫煙者の日記です。

アバターを見たので感想をば

公開が2009年なので7年遅れになるのか。やっと全部観られたのはAmazonプライムのおかげ。

宣伝はさておいて、本編の感想を。

いやはや、映像は凄い。話なんてどうでもよくなるくらハイファンタジー世界を映像化してて凄い。

突っ込みどころがない。ファンタジーって破綻がやっぱり目につくんだけど、それがなくて物語に没頭させることができるのはやっぱり映像先進国のアメリカ様しかできないんだろうな。

あと、大佐がかっこよすぎて濡れる。息止めて冷静に戦闘し続けるところとか惚れる。ランバラルを思い出した。

日本のアニメっぽいなと思うところが所々あって、全体的にはもののけ姫っぽいし、フィナーレの戦闘シーンで生物たちがヘリに襲いかかるところとかナウシカっぽいし、てかヘリのデザインが未来少年コナンで見たような形してるしで最高。

てかアバターを初めて操作するところとか神経シンクロ云々言っててエヴァンゲリオンぽいなとも思った。

人間辞めるところとかは攻殻機動隊っぽいし、歩行ロボなんてボトムズのスコープドックまんまやしで、なんか日本の傑作アニメのいいとこ取りして最高の実写にしてみましたって映画で度肝抜かされた。

日本ではできないことをしてくれてしびれるしあこがれる。

 

肝心な筋なんだけど、まずアメリカ人が作ったってことでインディアンを虐殺したことの反省なのかなと、やっぱりそういう目で見てしまう。

そういうのを抜きにして思い返すと、人間は徹底的に悪なのはちょっと幼稚かなとも思う反面、インベーダーはどうあがいたところで悪にしかならないということなのかもしれんなとも思うしで、うーん。

人間が侵略する目的が金オンリーで株主を満足させるためになんだってする感は現代の風刺としては効いてると思った。

それだけ現代世界が幼稚なのかね。現代世界が幼稚だから現実の鏡たる芸術は引きずられるようにして幼稚になるのかね。

で、自然と人間の付き合い方が主題だと思うが、そう見ると鑑賞者から見ると実にやっかいなことになる。

登場人物自身は新しい体を得て、フロンティアを体一杯に感じて「自然っていいよね!」って満喫して「それ壊す人間ダメ」って素直になれるんだとおもうんだけど、それを観てる僕からすると「お前人工生物の目を借りて見てんじゃん、それ全然自然じゃねえじゃん」ってなるし、人間辞めるところも実に機械的というか魂とか言ってはぐらかしてるけど、途中で無駄に死んじゃう博士が人間の脳以上に神経がどうたらこうたら言ってくれたおかげであの”絆”とか呼ばれてる神経リンクが機械のプラグを抜き差ししているようにしか見えなくて、マトリックス感はんぱねえなってなって「それって仮想現実じゃん」って感想がどうしても浮かんできて、そうなるともうこれが映画で現代のCG技術を駆使して作られてることを思い出しちゃって、最初の「自然っていいよね」って主題が嘘八百に思えて嫌になっちゃうから、映像凄い! 欲だらけの人間最低!って幼稚なところで落ち着かせるのが一番この映画楽しめるなって思えた。

結論、大佐かっこいい映画です。やっぱり筋肉やわ。主人公との初会話はベンチプレス上げながらじゃないとダメですよ。

 

読んでくれるなら、読んでくれるだけでこれ以上の我が儘な幸せはない

君を好きでたまらないのは君の微笑みがとても素敵だったからです。どう素敵だったかを言うと、これ以上美しい微笑みは無いといえて、それは多分この人の笑顔は何歳になってもその時々の素敵があるんだろうなと思えたからです。一時の美しさなんかよりも美しいと思います。

この笑みのためなら、多分僕はたとえ骨がきしむほど苦しんでも頑張れてしまうのでしょう。

その感情が強くなるごとに、僕は話せなくなってしまいます。僕は落語家さんやバーテンダーさんのようにウィットに富む話し方なんてものを心得ていないからです。そう思うと悔しい気持ちでいっぱいになって声も小さくなってしまいます。

本当はこの心持ちを素直に口で伝えられればよかったのですが、そんな言い訳が邪魔をして、今日もついにできませんでした。

それはむしろ君にとっては幸福というか、事なきを得る結果になったと思います。僕は生来からの日陰者で、本来は独りで生きることがこの世のためといった生き物ですから、日だまりのような笑顔をする君なんかには、たとえ取り巻きのひとりであっても在ってはならないような人間です。

だけど、どうしても僕はこれを書かずに終わることはできませんでした。静かに音沙汰もなく消えることはどうしてもできませんでした。そのことはどうか許してほしいのです。

直接、メールなりで送らないのはこのためで、気が向かないならそのまま捨て置いても大丈夫なように。

ただ、もし気が向いたなら、こんな踏みつけられるだけの雑草に目をやる心持ちがあったならでいい、そうであったなら読んでほしいという僕のわがままのせいなのです。僕の話はこれぐらいにしておきます。君のことで伝えられなかったことを最後かもしれないこの文章にしたためなければなりませんから。

君の話を聞いていて、僕はいつも感心していました。君はいつも周囲の人との関わりを大事にするからです。そのためかはわからないですが、君の周りにいる人は素敵な人ばかりのように思えます。君は日だまりで、そんな日だまりに優しい人が集まってくるのか、はたまた、君の目が良くて良い場所いい仲に飛び込んでいくのか、どちらかはわからないですが、なんとなく僕は前者の割合が多い気がしています。

人のことを素直に喜べる人というのはそう多くありません。今日、暗い気持ちで店のドアを開けましたが、来て良かったと帰りに思えたのは、君がそんな数少ない人の一人だと今一度知れたからです。今日も嘘偽りのない微笑みが顔をのぞかせていましたから。

昨今の価値観で言えば、金が絡む関係は成果だけを希求しがちですが、君の話す仕事にはいつも豊かな感情が息づいているように思えます。だから、一度話せた倫理にまつわる会話はとても楽しかったのは誠実さがこもっていたからなのだろうと、今にして思います。

お酒が好きなことも、タバコをたしなむのも、突拍子もない面白さも、嫌なことも笑ってしまえる強さも、些細なことでも大事につながることなら惜しみなく悩んでしまえる弱さも、善いことを素直に言えるところも、愛してやみません。

だから、僕は友達にはなれないと思います。君にいい人ができたとしたら、僕は多分素直に喜べないからで、そんなことでは真の友達ではないと思うからです。うわべの友達にはもっとなりたくありません。僕が望むのは、君が僕を選ぶこと只一つです。

答えが僕にとってよくないものであれ、ここまで読んでもらえたなら、僕が恐れることは、僕が執念深く君を追ってしまうと思われてしまうことだけですが、それだけは絶対にありません。井伏鱒二訳の「歓酒」ではないですが、さよならだけが人生で、僕の一杯はその意味です。それに僕が君を形作るものの中で最も素敵だと思っているのは微笑みであることを一度でいいのでこの節で思い出してほしい。

はなの笑みに影が差さない事だけを願って

ブログ始めました。

ツイッターの140文字制限だとどうしてもタイムラインあらしみたいな感じになって送信ボタン押すのが悪い気がしてて、まあそれなら長文でも書けるブログの方がいいかな、と思ってブログを開設した。

写真とかはinstagramに投稿するので、ここは文字だけになるんじゃなかろうかと思ってる。

僕自身の知的欲求傾向として地政学なり軍事学なり形而上的な推論とかが好きなのでそっち方面の話題が多くなって、読む人にとってはつまらないものが多くなるように思う。

一応呼んだ本なりブログなり鑑賞した映画美術等々、聴いて感慨深く思えた音楽などについてもその時盛り上がるであろうテンションでもって書くこともしばしばあるとは思うが、そんな状態でうまく文章という一表現に落とし込めるならもうとっくになんちゃら賞でも取ってると思うので、読みづらいことに変わりはないのかも知れない。

文章を書く理由として、第一義が僕の脳の劣化を遅らせるためであるから致し方ない。読ませる文章は本当の意味で脳、特に前頭葉な部分を刺激するので、そういった文章を書く方が良いのだろうが、小説をたまに書いてはののしられるような経験をしているので、脳の劣化を遅らせると言う目的に対しては幾分疲労が溜まりすぎるので、そこら辺は鑑みない。

第二義は文章を書くと雑然とした思考が形(情報)として表現されるので、筆者である僕自身も読者になることができて、つまりは僕それ自身を客観視できうるだろうという期待に他ならない。僕の身体をのぞき見るには鏡を持ってこなければいけない。一応脳のどこぞに磁気で刺激を与えれば幽体離脱を経験できるというエキサイティングな実験があるらしいがそんな器具は僕のワンルームにあるはずもないので、身体はすでにあるから写真なり鏡なりで映して見ることはできるが、その精神(精神なるものが在るかどうかはさておき)を見るには文章その他しかない訳で、僕は僕を表現するために旋律を奏でたり、絵を描いたりはできないので、文章に頼るほかないという次第。

ただ、じゃあ文章で自己を表現できるのかと問われれば畢竟わからないわけで、その表現された物が適当なのか不適当なのかを問わなければならないが、もうそうなるとめんどくさい。

こんな七面倒な事をわざわざ述べたのは第三義につながるからだが、射精と同じで、僕は男だからなのか、何かを放出すると気持ちよさが生じる気質がどうもあるらしく、今も雑然とこの文章を筆記しているがドーパミンやらじゅわじゅわ出ているんだろうなという感覚を覚えている。つまりこれは一種のオナニーでしかない。

第四義は、時間を費やすのにも多種多様な方法があるが、書くという行為が、他の「寝て過ごす」「テレビを見る」「本を読む」「映画を見る」というような受動的時間消費と比べて、その過ごした後未来から過去を俯瞰したときのしょうも無い人生送ってるな感が少々マシに思えるという経験則が僕にはあって、やはり受動的行動よりも創造的行動の方が世の中的にどうかはさておき僕個人にとっては有意義であるといえるから書くわけだ。ただ、創造的行動でも多種多様な方法があって、「絵を描く」「演奏する」「彫刻を彫る」「写経する」「花を育てる」といった時間消費方法を知らないではないが、書くことが他と比べて優位である点は金がかからないことにあるのだ。僕は日本列島の上で住んでいるが、日本列島上で生活する人間の中ではなかなかな低所得者層に属していて、その日本列島上でも有数の貧乏人のメッカに住所を持っているので、しかも身体が五体満足な上に社会的判断において精神も病気ではないと判定されるレベルの汚染度なわけで、つまり働かなければ生きてはならないと設定されているので、日本国政府からはびた一文も援助は期待できないとなっている上に、税金をちゃんと払えとの命令を粛々とこなす身分にあるので、なかなかに骨をきしませながら、我が暮らしが楽にならざりと指紋が消えた手を眺めているわけである。話を戻せば、絵を描きたいとおもっても画材を買う余裕がなく、さらにゴッホのように生活をさらに困窮させてまで絵を描く意欲もない上、ゴッホのように絵が掛けるわけでもないのでもしとち狂って一念発起で油絵の具なんてロフトで買ってきた日には画材がタンスの肥やしになるだけでなく、後におそうであろう喪失感は半端ないものになるだろう予想が容易にたつので絵は描かないとこうなる。そのような調子で音楽彫刻写経その他諸々は僕にとってはどれも高尚な遊びに思えるので、一番廉価で最もみすぼらしい割にはやっている感のある創造的行為である書くことを採択したわけだ。思うに、僕が後200年ばかし過去に生まれていて字が書けない読めない人生を送っていたらどうなっていただろうと思うと、どんなに憎らしい現代でも少々好きになれるのでこの思考展開はなかなか儲けものだと思っている。

こういうことを四の五の言って腐って死にたいと思っているのでツイッターでは役不足なのだ。こんなことをタイムラインで垂れ流しているやつがいたら一刹那(75分の1秒)の思考時間でフォローを外すだろうし、HTML情報をブラウザがレンダリングし終える前までにブロックは完成させ、流れるように運営に通報する事だろうと、少しは思ったが、よく考えるとそもそも興味関心がないのだからスマートフォンならば指を長めにスィ~として終わりな気がする。