ポッポ屋のブログ

喫煙者の日記です。

結婚の意義ってこの他になんかあるか?

結婚について考えてた。

で、日本における結婚っていう儀式というか制度というか、未だになんであるのかなって考えると、理由は2つしか僕には思いつかなくて(厳密に言うと究極は1つだけど)、1つが「誰と誰が原因となった子なのか?の客観的に確定するため」なのと、もう1つが「誰がその子を保護する責任を負うのかを決めるため」だと思い至った。

昔はDNA鑑定なんてなかったから誰の精子と誰の卵子が結合してできた子なのかが、結婚がない社会では客観的に確定できないかった。(てか、今でもDNA鑑定するには4万ぐらい、法的な証拠としての鑑定では8万とか結構な値段がするんでみんながみんなできるわけじゃないから今も昔もそう変わらない気もする。)

要は実際誰と誰がやったかなんて本人同士でも知れたもんじゃねえってこと。

幸いな事に人間の生態上、精子が自由意志を持って空気中に勝手に飛びだして女性めがけて飛行するなんてことはないし、ましてやコウノトリさんがどこからともなく子を運んでくる訳ではないので、あなたと以外誰ともセックスしませんorしてません期間を設ければその間にできた子はその当事者2人以外にあり得ないことになるわけだ。

その期間の区切りの始めが結婚ということになる。

実際民法で女性の再婚禁止期間が半年だとか、改正されて100日だとか、まあいずれにしても禁止期間が設けられてるのもこの辺が理由なわけだ。

 

じゃあ、なんでこうも誰と誰の子かを確定させにゃならんのだ? って言うと誰が子の責任を持つんじゃいって事につながる。

子供を産んでもその辺に捨てておkな社会を想像すると誰が考えたってびっくりするほどディストピアって感想が浮かぶと思う。

となるとオギャって産まれた子を誰かが育てないとマシな社会にならんわけだ。ということは誰かがそのオギャって産まれてから当分の間その子の面倒を見ないといけないということになる。

面倒を見られる存在は政府だとか病院だと孤児院だとか他にも色々考えられるけど、予算とか多様性とか母性とか要素を鑑みて順当に考えると子を産んだ母が面倒見るのが筋だろ、となるだろう。(折角辛い十月十日、陣痛出産という痛い思いを経て出会った子と母を引き裂くのもなんか申し訳ない気もするし)

母が子を育てるのは決定したとして、独りで育てるのか、育てられるのか? という問題が発生する。社会全体母子家庭というのもなかなかなディストピア感がある。

そこで気持ちいいことだけして暇そうにしてるのがいるので、産後とか寝る暇とか母に作ってあげるためにもちょうどいいじゃないかとこいつらの内の誰かに責任を負わせてしまえと、そうなった。オスの面々である。

じゃあ誰がいいか? それはセックスした張本人以外にないだろう。誰がどこの誰かも知れない女性の子の面倒のために一日の大半を、それも二十年近くも裂こうだなんて思うのか。もっと言えばセックスしてできた子であっても愛とか決意とかいう感情や信仰や良識とかいうあやふやなもの抜きに一日の大半をそれも二十年近く裂こうなんて思うものか。

どうにかして子の面倒から解放されたい男は「おいらそんな女抱いたことなんてねえ!」とかへちまだと嘘をつくに決まっている。

で、先述の「誰と誰が原因となった子なのか? を客観的に確定するため」の結婚が出てくる。

 

社会「この子はお前の子だと母が言ってるからお前が責任をとれ!」

男「いや、おいらその女しらねえ。抱いた覚えなんてねえ。その女嘘つきだ!」

社会「黙れ! てめえ結婚してるだろうが!」

男「ぐぬぬ……」

 

結婚という約束があるおかげで男にも子の面倒をみさせることが出来るようになった。めでたしめでたし。

 

で、ここからが僕の言いたいことなんだけど、結婚ってどう考えても将来できるだろう子供のためなのよね。

愛のためでも、孤独でいる寂しさから逃げるためでも、配偶者を独占するためでも、ましてや社会的信用のためでも、経済的理由でも、労働からの逃げ場でも、子供産むための制度でもなく、産まれてくる子供の責任を負うため(負わせるため)に存在してる、と僕は考えるわけ。

その前提に立つと、出来ちゃった結婚は本来相当やばいな、と思えて、なんでかって言うと「仮にもし君に子供が出来た時は僕が責任を取る」っていう約束(つまり結婚)を妊娠する前にしてないと、妊娠してから「結婚して」と女が男に詰め寄っても男は「そんなの知らない」で済ませられるからできちゃって結婚に至れないことが大いにあり得る。現代ではDNA鑑定したらわかるという人もいるだろうが、裁判になるまで男は鑑定を拒否できるし、裁判になったとしても海外逃亡して代理弁護人に「女には他に男がいた」と主張させれば最悪逃げ切れたりする。てか、その前に認知のない子育てしながら裁判とか相当気力がなければ多分取り下げざるを得なくなるんじゃないかな?

幸い、昨今の男は律儀なのが多いようでできちゃっても結婚する割合は増えているし、中絶数、率ともに減少し続けている。ただ中絶数は減っていると言っても20万ぐらい堕ろされていたりする。

あとゲイ同士とかレズビアン同士の結婚が云々というのが議論されていて、そんな議論をちらっとみた僕には、婚姻届を出すのは勝手だし認めてられてしかるべきだけどその関係って婚姻関係にあるって社会から認められなければなりたたないものなの? て意見というか疑問が出てくるのね。

結婚の意義を先述の通り「産まれてくる子供の責任を負うため」にあると前提すると、ゲイやレズビアンは生物学上子供が出来ないから結婚しても結婚しなくてもどっちでもいいんじゃないの? とどうしても思ってしまう。好きにすりゃあいいし、社会からしたら畢竟どうでもいいので望むままにしてやりゃあいいと思う。なんでそんなに騒ぐのかわからない。

ただ、そう言うと「子供を望んでも出来ない」夫婦の問題が浮かび上がってきて、「お前は子供が出来ない夫婦に対して『子供のない結婚に意味がない』なんて面と向かって言えるのか!」って怒られそうなんだけど、僕がいう結婚の意義は「将来」できる子供のための線引きだから、今妊娠の可能性が低いもしくは無い夫婦であっても治療等々で妊娠の可能性が上がるもしくは出てくることが今後在るかもしれないからその時のための「結婚」だと言っていて、現在子供がいるいないはむしろどうでも良くて、今後産まれてくるだろう子供のために今生きている人間はどうしていた方がいいのかって話をしているつもりだから言い訳っぽく聞こえるかもしれないけど、僕が最初から言っているのはそういうことで。

だから子供を作らないと決めたいい大人同士の結婚とかも社会から見たらどうでも良くて好きにすればいいとしか言えない(まぁそれだったらそもそも結婚なんてしなくても仲むつまじく暮らせばいいだけで社会的な強制力を伴う空気を頼って愛情を固定化させているだけじゃないかなとは思うけど、そこまで踏み込むのは差し出がましいのでだろう)

とまあ色々こねくり回してきたけど、ある特定の女性に出来た子供のための結婚であって、その他それ以後の婚姻生活により生じるだろう価値観はすべてその上に積み重ねるものなのかなと。良いか悪いかも含めて。結婚してないんで知らん。

男からする結婚は「この女に出来た子なら何が何でも育てる」という約束だろうし、女からすると「この男なら私に出来た子を育て上げられるだろう」という期待を持って提案するものだろう。