ポッポ屋のブログ

喫煙者の日記です。

「何者」を観たので感想をば

nanimono-movie.com

これね。

なんで映画のサイトってこうもギミックで重たくするかねせっかくおすすめしたいのにサイト見るだけで行く気なくすじゃないかこのサイト先に見てたらたぶん映画館行ってないぞい。

 

そんなんはどうでもいいとして、本編についてちょいちょい話したい。

学友からの薦めでこの映画をみたわけだけど、観て居てわき起こった感情は不快そのものだった。

始終不快でもし一番前の席で観て居て席を立っても迷惑がかからんようにさっと出て行ける席ならたぶん中座してそのまま映画館を去っていた。それくらい感情を締め付けるものがあっていい作品だなと思った。

今を映し出せているというか、いやすべてひっくるめて映し切れてはいないんだろうけど、ある側面はしっかり映し出せていて、そういうのとんと触れていなかったなと思ってやっぱり芸術は現実の鏡たれと再確認できたので観に行って本当に善かったと思ってる。

就活生という題材を使って空想段階と創造段階の違いを問うた作品なのか、まあ自己評価はいいから形にして他者の評価にさらす土俵に上がってきなよ、話はそれからだ的な話なんでしょう。

ただ創作は直ちに評価に晒されるべきというのはどうなんだろう? 空想にしたままでもいいんじゃないのか? 個人に対しなんでこうも周りが一生懸命になることを強要するのかがわからない。愛してもないのに。

 

以下蛇足。

「頭の中にある内は全部傑作」だかニュアンスは違うだろうけどそういう台詞が劇中にあるし「自閉」に対してこの作品はアンチの立場だと思う。

「自閉」はテーマとしてかなり重要で頻出しているホットなキーワードだと僕は思っている。

 

何かにつけて最近は「自閉」がキーワードな気がしていて、脳は有機的な繋がりを持って電子的な情報を伝播させてるが、言語的なやりとりで持って外部に拡張できるというのも脳の可能性であるわけで、そうなれば社会や都市というのは一つの大きな脳と解釈できなくもないので自閉とはその観点から見ると決して自立や自由ではなくて機能不全、もしくは暴走と捉えることができて、こういった異物は取り除こうとするのは結構自然な振る舞いなのかもしれない。

ただ自閉した方からしたら他が異物であるわけで、本来は抗争する場面なんだけど、それをしないしたくないできないから自閉モードを解除するか死ぬかするまで苦境に立たされる。そんな存在を他は観測するから、僕たちもいずれはあのような境遇に陥るのではないか? という疑心暗鬼を理由にこの自閉した個人を煌びやかな言葉を使って保護しようとするんだろう。

同一の母語を使うもの同士は広く言えば身内な訳だから、自閉ではなく環境に対し堂々とNOをつきつけりゃ良いんだけど結局はやらない。何言ってるかわからんようなってきて飽きた。