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ポッポ屋のブログ

喫煙者の日記です。

ゴースト・イン・ザ・シェルを観た


『ゴースト・イン・ザ・シェル』 本予告

 

テーマ詰め込みすぎ。

薄っぺらすぎたけど、街並みとか画はやっぱり実写、見ごたえがあった。

結論としたら頑張って作ったMADだなという印象。

 

監督さんが元の映画をリスペクトしているんだろうなと、アニメ版の攻殻機動隊シリーズの名場面と同じ構図のシーンが盛りだくさんでそこら辺は今まで作られた映像版攻殻機動隊をところどころ思い出せてなんか旧作を見直したいなという気持ちにさせてくれたのであれは尺が2時間のCMだったんじゃないかって思った。

その尊敬心が原因かは知らないけど、アニメ映画版攻殻機動隊GHOST in the SHELL とか続編のイノセンス、テレビアニメ版のSACとかのそれぞれ持っている主題は、形而上学的でその中でもかなり重たい部類に入る大主題だと思うんだけど、それを2時間でやってしもうてるとこがあるように思えて、観終わって「なんじゃこりゃ?」感が沸いておこった。

「自分たらしめることとは何か?」という問いがあると思うんだけど、実写版ゴースト・イン・ザ・シェルでは語り尽くせてるとは到底言えないと思う。

 

僕は攻殻機動隊が昔から好きで、なんで好きなのかというと、ghost in the shell というようにghostつまり魂というか自分というかそういうモノorコトがshell機械という機械つまり量産品・世界に複数存在できるモノに包まれているという設定・仮定から導き出される、自己を確定し得るモノ・コトとは一体なんであるのか? という疑問が沸き起こってくるからで、なんか思考実験的な面白さと自己を確定しうるモノ・コトとは一体何であるか? という疑問それ自体への好奇心が相まって、映画や小説や音楽でもいいんだけど、そういった表現・表出群の基盤たる主題それだけで飯が何杯でもいけるのね。その上にあの押井節というか画としての情報量に制約があるアニメーションゆえか、台詞(言語)に頼っているせいでより思考が深まる気がしてもっと飯が食える感じになってるのね。

 

その観点から言うと実写って画に情報量が多いから語らずとも表わせ的な慣習というかあるから、台詞が説明調というか不自然というか舞台調というかそんなだとマイナス点になってしまうのが、まずもってハンデとしてあるなと。

加えて、監督というか脚本というかが、上で言ったような疑問をちゃんと自分の考えとして噛み砕けているのか、噛み砕けていると仮定してもそれを表出できるのか、それは言語に頼るほかないのか、実写映画という表現方法で行うべきだったのか、というところまで咀嚼した上だったのか? という疑問は観終わったあとの感想として確かに僕にはあった。

で、僕の結論としてはそこまでの咀嚼はできていなくて、最悪元のアニメが好きで実写にしてみたかっただけだったんじゃないかなと思った。だから頑張って作ったMADという評価になった。